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タイトルなし

こんにちは。
早口で説明してもらうと、内容よりも滑舌の良さに
興味が湧いてしまうへそ曲がり、金丸です。
お元気ですか?

いやはや、生きていくってのは不条理、理不尽ですなあ。
(いきなり)

自分のちからの及ばない部分で、自分に降りかかる不幸が起こる、という。
たまに因果応報なんて聞きますけど、
そう解釈したければそうすればよろしいですし
本人にとっての真実は一人一人が決めていいのかななんて
考えたりもしてます。

ただ、その真実は自分の物ですから、人に押し付けるのはナンセンスというか。
ださいことなんですけど、意外と無意識に求めてしまいがち、
または、求めてくれるくらいが嬉しいと思ったりもします。

元々別の生き物なので、本当の意味で解り合うなんてのは
あり得ないことで、解り合った気になりたいのはそうなんですけど
それは求めるだけ、手の中からすり抜けて行くというか。

その、永遠に溶け合えない絶対性の前で
相手を敬う気持ち、自分と違う部分を自覚しつつも
その辺りも含め、「あ、いいな」って思うのが
好きっていうひとつなのかな、なんてふとよぎりました。 

2件のコメント

  1. シトロ より:
    読み進めていくと「コメントをどうぞ」と書かれていましたので・・・・ なんとも、わたくしもそのように思っておりますよ。 悠子さんの好きな何かを、わたしもとても好きだったときの、 あの「わああ!」という幸せな感じ。 そして、趣味や思考の違う人から受ける刺激。 両方が大事だなあと思ってます。 前から、 「同病相哀れむ」とか「内輪ウケ」みたいなのはあまり得意じゃないけど、 そこにある安心感というのは自覚しつつ、 そこで終わるつまらなさを感じたり。 たぶん、話がちょっと違うと思うけど、 そんなことを思ったので、書いてみました。 人生は困難とともにありますしね。
  2. kanamaruyuko より:
    シトロさま 素敵なコメントありがとうございます!わほ~い★ 内輪ウケの安心感且つ、それだけでは次の達成に届かないことを自覚している何か。 この一見相対する感情を同時に覚える事はわたしもよくありまして、そのとき感覚としてリサイクルのマーク、というか無限のマークが頭をよぎります。 仰る通り人生は困難と共にあると私も思いますよ~ 同時にそんな受難をアッパッパーとみているもう一人の自分もいたり。おかしなものでございますな~

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