月別アーカイブ: 3月 2013

気が付けば 鳴ってる感で


こんばんは。
歌入れ前のオケを大音量で聴いて痺れるのが好きな金丸です。

先日ミュージシャンの先輩に、演奏するときに何を考えているか聞いてみましたところ
音楽の神様の近くにいることが出来ているか考えている
というコメントをいただきまして、なるほどなあ~と思いました。

例えばその演奏曲に対して技術的、精神的に余裕がないときは
譜面を凝視したり、次こうやってああやってと身体を動かすことに気がむいて 
その場の空気を震えさせることを疎かにしてしまったりします。

しかし自分があまり意識せずともスススーと身体が動き
さらに気持ちも、考えすぎず考えなさすぎず
無になってただただその音の波に委ねられていたら
それは、ひとつの理想形の気がします。

そしてこういうお題を
考えたり練習したり実践するのが大切なんだろうなと
思いました。 
意識は急には芽生えず、その先に狙うは無意識…!

わたしもガンバンマ!

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言えることはたったひとつ

東関東一の安い涙、金丸でございます。
最近ね~涙もろくて…すぐ感動しちゃうんですよね…

さて23日の四畳半セッション、24日の赤坂B♭のライブに
お越しくださったみなさま、遠隔で応援してくださった方々
どうもありがとうございました。

両日ともに大盛況で本当にありがたいことでございます。

ライブに来て楽しんでいただけるというのは
演奏している側からいたしますと、心底嬉しいことでして
自分たちの発したもので、どなたかが喜んでくれるなんて
極上の贅沢だと思っております。

音楽的に言えば四畳半セッションは自由度が高く、
その場で曲やアレンジを決めて、
しかも決める事と言ってもキーワードを1つか2つ出して
例えば「スムースな感じで…」位の振れ幅のあるイメージを共有し
それを音に出すという、なんとも楽しい場なのでございますが

今回のお客様は楽しむことにたけてらっしゃる方が多かったと言いましょうか
そういう時、こちら側もビンビン感じてしまうので
その跳ねっ返りと混ざり具合がたまらなかったです。
みんなでいっこの生き物になっちゃったのかな、という位、無になれました。
ありがたや…

フルバンの演奏は決められた中でいかに表現するかの音楽で
こちらも非常に美しく格好いいものを目指しております。
沢山の楽器が奏でるハーモニーが1つの目標に向かった時
自分の心臓の位置がちょっと上にあがるというか、やられたーとのけ反ってしまいます。

「大の大人が何十人も集まって1つの目標に向かって表現する」フェチの私としては
かなりのごちそうでございました。

両方ともこの状況に感謝しつつ、甘えず精進して行こうと決意し
こってり塗ったつけまつげを落としたのでありました。

いろんな人がいろんな目的で音楽をやってますね。
素晴らしいことだとおもいます。
話してみないと解らない、音を出してみて解ることもある。
両方やったけど、今はキャッチできないこともありまさな。
ただそれらは何かのきっかけを与えてくれる、
世の中様からのプレゼントなのかなあ、と感じました。

またカキマ!

 

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くたばってしめえ

こんにちは。
平成の根無し草 金丸です。
この気温の落ち着かない感じは春ですね~
最近の表現で書くと「やばい」ですね~

この暖かいんだか寒いんだか解らない感じ、
わたしはいまだに高2気分なので(イテテテ)
高校の入学式辺りを思い出します。

さて、みなさまは言い切ることはお得意でしょうか。

例えば「これは赤です」とか「わたしはこれが出来ます」とか
「あなたはこれが似合います」とか伝える中身は
無機質についてだったり、自分の意思だったり考えだったり
様々なんですけども、私はどうも言い切ることが苦手なんですよね。

人様とコミュニケーションをしたり、人様に何かを説明する機会に恵まれており
達者ではないものの、その行為自体は好きなんですよ。

ただ、どうも言い切ることが苦手で、且つ言い切られるのも苦手なのです。

自分が言い切ることが苦手な理由を見つめてみると
言い切るというのは無常を否定するわけで
わたしは永遠とはないと考えていますので、
自分のムードやらテンションに反しているんですよね。

そうじゃないかもしれない、このもやもやしたものが
自分に革命をもたらせてくれる気がしているので
その余白というか遊びの部分をなくす発言は
体内から音としてあまり出したくないというか…

なので、言い切る必要がある場合は
ハートの中で小さく(いまだけは)という前置詞をつけてから
お伝えするようにしてます。自分めんどくせ~
ま、いつもそういう訳じゃないですけど、ここぞ!というときは
そうやって逃げてます。
スタコラサッサー

また、言い切られるのが苦手な理由としては
「わ、なんでこの方、こんな自信満々なの?」と思ってしまうのでした。
これは単純に羨ましさです。自分ずっともぞついてますから。

ただ言い切られて嬉しい場合もあります。
(例:金丸さん、その話間違いなくおもしろいよ!)

そんな無駄なことを考えながら散歩するのが楽しいです。
無駄も散歩も最高~

お話を伺うと
みなさんがんばってるらっしゃるので、わたしにもがんばらせてください★

またカキマ!

 

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タイトルなし

こんにちは。
早口で説明してもらうと、内容よりも滑舌の良さに
興味が湧いてしまうへそ曲がり、金丸です。
お元気ですか?

いやはや、生きていくってのは不条理、理不尽ですなあ。
(いきなり)

自分のちからの及ばない部分で、自分に降りかかる不幸が起こる、という。
たまに因果応報なんて聞きますけど、
そう解釈したければそうすればよろしいですし
本人にとっての真実は一人一人が決めていいのかななんて
考えたりもしてます。

ただ、その真実は自分の物ですから、人に押し付けるのはナンセンスというか。
ださいことなんですけど、意外と無意識に求めてしまいがち、
または、求めてくれるくらいが嬉しいと思ったりもします。

元々別の生き物なので、本当の意味で解り合うなんてのは
あり得ないことで、解り合った気になりたいのはそうなんですけど
それは求めるだけ、手の中からすり抜けて行くというか。

その、永遠に溶け合えない絶対性の前で
相手を敬う気持ち、自分と違う部分を自覚しつつも
その辺りも含め、「あ、いいな」って思うのが
好きっていうひとつなのかな、なんてふとよぎりました。 

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